15年以上やってきた声活動を振り返るタイミングがあったので、またどうしようもない哲学のような日記残します笑

一癖あるような内容なので、苦手と感じた方は読まない方が良いかもしれません( ̄▽ ̄;)

 

 

 

ジ●リのとある巨匠が言う言葉に「監督・演出家は加害者だ」というのがありますが、私はこれをその通りだと思う。

今の音声ドラマを制作するにあたっても、20数年携わってきたバレエやミュージカルの舞台を踏んだり裏方の制作スタッフとして携わっても、全くその通りだと思う。それはすなわち、制作への真摯さや姿勢だと思っている。「拘り」これはあまり良い意味やイメージを持たれないことも多いが、何かを成し遂げたいという想いがあるならば、成し遂げる上…どこかでは絶対になくてはならないものだと思う。この「拘り」っていうものがあるからこそ仕上がるのは、なにも作品の品質だけでない。作品を作ろうとする気力・気合・信念といった「自分を奮い立たせる」ことに無くてはならないものの一つだと思っている。

 

又もう一つ、どこかの漫画の1コマで「一生懸命頑張れば、誰かの物語の中では悪役になる」っていうものだが、これも私はその通りだと思うし、その言葉がとても好きだ。

人は、一人一人が必ずしも同じ考えではない。多数決をしたところで、「こう思う人が多いから、これが普通の考えだ」というのは、正直あまり好きではない。寧ろ「こういう考えもあるか」「こう考える人もいるか」というような視野を持ちたいと常日頃思っている。カウンセラーではないが「なるほど、あなたはそう思っているのね」以上。アドバイスというのは、時にすることはあるが、正直あまり得意ではない。「そういう考えに落ち着いた・辿り着いた」というのも、相手が考えた上で出した答えであるなら、その考えたという過程を自分の価値観で簡単に潰したくはない。本人が納得いく答えというものは、必ず本人が持っているもの。本人の答えと私の答えは必ずしも一緒ではない。

 

いろんな人がいる世界で、誰もが全員と仲良くできるとは限らない。

誰しも一人の人間だ。誰とでも仲良くしていきたいという気持ちは今でもある。が、それが「誰とでも深く広く」な時代が自分にあったからこそ、今は「多くは浅く広く、一部は深く狭く」である。

「人と向き合う」この「向き合う」という言葉は流行り言葉なのか、真面目や硬い考え方が得意な人にはとても大事にされる言葉だ。自分も、数年前まではそうだった。だからこそ、今はなるべくそれをしないようにしている。

「逃げるのか!?」言われそうですね。でもそうなんだろうと思います、逃げですね。しかし自分はこの「逃げ」っていうのが一つの自己防衛と思ってます。

相手にとやかく言わず傷つけず、自分の意思も守る。これが一つ、長く付き合えるコツなんじゃないかなって。

違うという人いるでしょう。いていいんです。その人にとやかく言うつもりはない、コレはあくまで私自身の意見でしかないわけだから。

ここで「そうかもしれない」と頷ける人がいるなら、私はその人達と話してみればいい。違うという人は違うという人同士で話をしてみる。これがベストだと思っている。

 

本当の友達は一握りでいい。けれどいろんな人と付き合ったり交流はしていきたいと思っている。だからこそ、私はなるべく「そういう考えもあるのね」を大事にしていきたいと思っている。「こうあるべき、こうすべき」というような偏見は持ちたくない。

アドバイスというのも、極力相手が求めてきた時に限るようにしている。

 

人は一人一人違って良い。

こちらのことが苦手と思う人、大勢いるハズ。勿論私自身、苦手だなと思うタイプの人間は沢山いる。動物に対してもそうだ「あ、この馬苦手だな、独り善がりなヤツめw」と思ったりね笑

私が絡んだとして、相手が絡んできたとして、もしも首を傾げるようなら無理に付き合う必要性はどこにもない。社交辞令的にあいさつを交わす程度で、適度な距離を作るというのは大いにアリだと思っている。

 

企画者の話に戻るが、要は私は加害者である。

作品のクオリティを維持すべく大勢の力を借りて要望する。

和気藹々やりたいのは山々だが、拘りは持って臨みたい。

和気藹々だけを望むのであれば、自分で立ち上げた企画内でそれを大事にするといいと思う。

相手の為を思って「ゆったり頑張ろう」の一言が、絶対やりきってみせる!と頑張っている人には時に「失礼」になる。

何を言うタイミングも、相手の受け取り方も、いろいろ複雑だ、人間関係というものは。

話が合う人と愚痴って、気持ちを吐き出すといい。私は去年辺りから、直接会って制作の愚痴をこぼせる相手が出来たし、面倒な涙を許してくれる友もいる。それだけで環境は十分幸せだ。こちらにイラッときたら、話が合う人ととことん愚痴って吐き出したらいい。それをしないと八方塞がりだ。互いに互いの場所で吐いて、スッキリしてみればいい。

 

そう、だから一つ一つ、日々が勉強なんだろうなと思う。

一人一人違った人間と付き合うということの、日々勉強。

 

その違った人々が、怒鳴り合いながら、汗水流しながら、すれ違いながら仕上がった作品てのは、最後に聞いてみるといつだって、ああ、やっぱり拘り捨てずやってみて良かったなと思う。が、これはあくまで私個人の意見である。

 

一番長かったバレエ舞台。スタジオの講師はまさに加害者で、キャストにもスタッフにもいい顔はされなかった。私は常に怒られキャラで、目をつけられていた感覚だったが、レベルが低いと言われ「お前はこれだけやれ」と言われても、「ここしか出なくていい」と言われても、ひとつの舞台に仕上がったビデオを見ると、私にはその舞台が最高だったし、その鬼で天の邪鬼で気分屋な講師の企画進行させる舞台が終いには「好き」だった。毎年そうだった。トゥシューズで親指に血が通わず青くなろうが、ロールイン(骨が捻れて水がたまる)しようが踊っていられたのは、最後の感動と楽しみがあるからだったし、舞台もその加害者講師の舞台が好きだったからだろう。どこのスタジオの舞台と比較しても、やっぱり自分は先生の舞台に出たかった。


人間関係で言うなら、私の親友は私と同じく一癖あるタイプだ。ケイのモデルというくらいだから、それなりに一癖二癖ある笑

そこまで言う?そこでそうする?と思うところが多々ある。が、私はそんな親友とずっと一緒に友達やってたいと心から思う。一見怖いかもしれない言動なりなんなりが、意味あってのそれっていうのを、しっかり分かっているし、冷めているようで大事と思う人や友人達のことをこれでもかと言うくらい凄く大事にする。付き合ってみないと分からない、良い奴である。


どう思うか、人それぞれっていうのはそういうこと。人によって価値観や好き嫌いは全然違うもの。

向き合うことを大事にするのであれば、誰しも、自分の本音(心)と大事に向き合って行ってほしい。

それは、自分自身も同じである。

 

本当の正解は、その人の中にしかない。

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