書きたいものがたくさんある

 

書きたいものであふれている

 

書くべきものがたくさんある

 

 

何かに感動して感じることが殆どだが、脚本やネーム等、一度仕上げた作品の無駄を削ぎ落しに入る際にも強く感じる。

 

 

何か違うテイストのオリブ物語にしようと思っても、結局のところ趣旨は変わらずなところがある。例えば、悪役はいても本当の悪役っていなかったり。これは例えば誓旅シリーズのどれを取っても同じ傾向。意味のないただの悪役って好きじゃないんですよね。

 

「本能寺の変」の織田信長と明智光秀だったり、弱肉強食のライオンとジャッカルだったり。主人公の視点を誰に置くかで変わるもの。

 

悪役には悪役の背景ってのがある。

 

日本てのは、なんとかレンジャー、なんとかマンといったように、「正義が勝つ、悪は裁かれる」みたいな教えがあるけれど、それをなんとなく描いていきつつ、結局のところ主役にも非があり、成長すべき点がある方向性へ持っていくのがこれまでのスタイル。

 

おそらく、心理学を学んできた大学と研修所の7年間が色濃く出ている気がする。

「傾聴」の1つのポイントだ。誰の味方にもならず向き合う、という点だが。

書いてる立場としては、主人公にも、悪役にも、舞台にも、常に成長していってほしいのだろうなと思う。

すなわち、誰の味方にもなりえない、或いは誰の味方にもなりえる…といったところだろうか。

 

 

海のサンゴが砕けて砂浜になり次の海洋生物を支えていくように、草食動物を喰った肉食動物が草になり草食動物がそれを喰らうように、世界に無駄なものなんてないものだ、そう思っている。

 

 

新しい挑戦をしようかと思ったが、今回の「風民の詩」も、結局は同じスタイルになってしまった。

 

しかし、仕上げてみて思ったのは、その趣旨・思考・傾向・スタイルはそのままに。

作品の雰囲気という名のスタイルに挑戦をしていった方がいいのかもしれないという思いに至った。

 

風民の次に書いていく作品は、その挑戦をしてみたい。

 

 

Ukikaa ukitulia mengi utayasikia

 

Mema tuombeane mabaya tusameheane

 

いろんなことが聞こえてくるものだが

 

互いの幸福を祈り、許し合おうじゃないか

 

 

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